《みことば》 「しるし」
《聖 書》 ヨハネによる福音書 6:1-15
しるしと奇跡
「あなたたちの神、主がエジプトにおいてあなたの目の前でなさったように、さまざまな試みとしるしと奇跡を行い、戦いと力ある御手と伸ばした御腕と大いなる恐るべき行為をもって、あえて一つの国民を他の国民の中から選び出し、御自身のものとされた神があったであろうか。あなたは、主こそ神であり、ほかに神はいないということを示され、知るに至った。」(申命記4:34-35)
イスラエルの民は、エジプトの出来事を、祭儀の中で、特に種なしパンの祭りにおいて、繰り返し思い起こしていました。「あなたはこの日、自分の子供に告げなければならない。『これは、わたしがエジプトを出たとき、主がわたしのために行われたことのゆえである』と。あなたは、この言葉を自分の腕と額に付けて記憶のしるしとして、主の教えを口ずさまねばならない。」(出エジプト記13:8-9)
このように、イスラエルの民はエジプトの出来事を思い起こしながら、近い将来、神がしるしと奇跡によって、自分たちの理想の国を実現されると期待していました。
神からのしるし
ヨハネによる福音書では、五千人に食べ物を与える物語の最後に、自分なりの解釈をのせています。この物語は、ただ単に過去に生きたイエスの偉大な行動を伝えたものではなく、現代でも起こりうる出来事として受けとめることが大切なのです。過去のイエスではなく、現代に生きているイエスの姿をとらえる必要があるのです。
神から私たちへの呼びかけとしての「しるし」は、私たちのまわりの身近なところにあります。ところが、たいていの場合は見すごしてしまっているのです。神からのしるしは、ほとんどの人が気づかないうちに示されているのです。
大げさなことではなく、さりげなくイエスはしるしを行なっているのです。人々の気づかないうちにしるしが行なわれ、ごく一部の人たちだけがそれをしるしとして受けとめていくのです。これが神からのしるしなのです。
年間第17主日B年(瀧野正三郎)
[こじか1980.1.20号掲載文を加筆修正]