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《みことば》 「毒麦」
《聖  書》 マタイによる福音書 13:24-30

毒麦

 すべての人によい種がまかれているのですが、同時に毒麦もまざっています。しかし、毒麦を持っているからといって、その芽をつんでしまうと、その人のよい種は実を結ぶ事ができません。
 いかにして毒麦を取ろうかという事に熱心になってしまうと、人を育てるという事がおろそかになります。人を見た目で判断してしまうと、その人がせっかくよい面を持っていても、悪い面ばかりを見てしまいます。
 人を育てる事は決して楽ではありません。毒麦がある程度育つまでほっておく事も必要なのです。結果を見る前から判断してしまわないで、どのような結果が出るか見きわめてから、判断する事も大切です。

隔離

 社会の中で害になるものは隔離してしまおうとする傾向があります。害になるものだけをどこかに閉じ込めておけば、一般の人々は安全だというのです。でも、はたしてそれでいいのでしょうか。
 社会の利益になる人間はちやほやされ、そうでない人はほったらかしにされています。その結果、ごく一部の人たちのために国があり、その人たちの利益を優先して物事が決められています。すべての人が平等に生きる権利があるはずなのに、社会の利益にならないからといって隔離する考え方は、弱肉強食の世界を作ってしまいます。
 イエスの示した世界は、すべての人が神から愛されているはずです。どんな人も差別する事なく、すべての人から受け入れられるように、皆で育てていく事が大切です。

年間第16主日A年(瀧野正三郎)

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