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《みことば》 「十二人」
《聖  書》 マルコによる福音書 6:7-13

十二人

 マルコによる福音書3:13-19には、イエスが十二人を選んで使徒と名づけたことが伝えられています。そもそも十二という数は、イスラエル民族にとって他のどの数よりも大切にしていたものです。イエスが十二人を選んだことを伝える記事は、それなりの意味が含まれています。イスラエルが十二部族から成り立っていたように、真のイスラエルの継承者であるキリスト教も、十二人の使徒によって建てられる必要がありました。それを裏付けるものとして、十二人の使徒の名前で、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人をのぞくと、ほとんど聖書の中で重要な位置を占めていません。おまけに、使徒言行録1:12-26では、イエスを裏切ったユダにかわって、わざわざマティアを選んでいるぐらいです。このように、使徒のそれぞれが大切なのではなく、十二という数が大切なことがはっきりと分かります。
 パウロは、自らを使徒の中に数え上げて、十二人の弟子と使徒とを区別して使っています(1コリント15:1-11)。ここから判断すると、キリスト教の初期の時代から、十二人という呼び名が使われていたことは確かです。しかし、十二人がそれぞれどのような役割を果たしたかは不明です。聖書では十二人よりも、使徒の働きに関心が向けられています。使徒の働きを通して、福音が世界に広まっていくことに興味が置かれています。

使徒の派遣

 イエスがいつ使徒を派遣したのか。これについて、はっきりと確認することができません。使徒言行録を見る限り、使徒たちが公に人々に向かって宣教を開始するのは、聖霊が下ってからです。
 マタイによる福音書では、この疑問を解決するために、最初の使徒の派遣は、イスラエルの民だけに限られています(10:5-15)。そして、イエスの復活の後に、十一人の弟子をすべての民族に派遣しています(28:16-20)。少なくとも、マタイによる福音書で見る限り、ルカによる福音書が伝えているように、イエスの宣教は先ずイスラエルに向けられたが、人々がイエスを拒んだので、福音は異邦人に向けられたとは考えられていません。むしろ、異邦人に対する宣教と、ユダヤ人に対する宣教を主張する二つのグループの対立を解消しようと努めているのです。
 イエスが使徒を派遣したことは考えられます。しかし、それがどの程度の成果をおさめたのかはわかりません。多分、イエスが当時の社会に受入れられなかったように、イエスの弟子たちも受入れられなかったことが考えられます。使徒たちが、実際に、イエスの派遣に答えることができたのは、イエスが十字架にかけられて殺されてからです。

年間第15主日B年(瀧野正三郎)
[こじか1979.7.15号掲載文を加筆修正]

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