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《みことば》 「平和」
《聖  書》 ルカによる福音書 10:1-9

あいさつ

 聖書の時代において、「シャローム」という言葉があいさつのかわりに用いられていました。日本においては、「こんにちは」、「さようなら」、「こんばんは」とその時々に応じて使い分けられています。ところが、聖書の時代のユダヤ人は、ただ「シャローム」だけを使っていました。この言葉ですべての気持ちを表わしていました。
 「シャローム」という言葉は「平和」、「平安」と訳されますが、戦争のない状態を表わしているのではありません。戦争のさ中にあっても、「シャローム」が使われます。「シャローム」には、神との結びつきが含まれています。お互いが神と結びつく事によって共通点を見い出すのです。そして、共通点を見い出した人に対して「シャローム」とあいさつするのです。
 「シャローム」は祈りの言葉でもあります。神の働きを通して、正義と平和がもたらされるように祈るのです。

平和

 「平和」、「平安」について理解する事は非常にむずかしい事です。しばしば、人はいつわりの平和にだまされてしまいます。例えば、独裁者の支配下では、争いもなく、すべてが秩序正しく動いています。外面的に見ると、さも平和の状態に置かれているように見えます。しかし、これはいつわりの平和です。正義を切りはなして平和は考えられません。誰かが圧迫されているかぎり、平和はないのです。
 いつわりの平和を求める人は戦おうとしません。人と争う事は平和に反する事だと思っているのです。しかし、正義を実現するためには戦わなければなりません。この戦いの中に平和が見い出されるのです。
 イエスは当時の支配者とぶつかりました。いつわりの平和をゆるす事ができなかったのです。人々が圧迫されている姿を見過ごす事ができなかったのです。律法学者たちの非難を受けながらも、罪人や病人と食事をする時に平和を見い出したのです。

年間第14主日C年(瀧野正三郎)
[こじか1980.7.6号掲載文を加筆修正]

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