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《みことば》 「休む」
《聖  書》 マタイによる福音書 11:25-30

労働と休み

 聖書における安息日の教えは、地を耕す季節にも刈り入れ時にも、一週間のうちの一日を休みの日として主のために捧げるというものです。自然のいとなみの中で、労働と休みは当然必要なものです。人は働かなければ食べていけませんが、しかし、より快適な生活を求めて働き過ぎるのはよくありません。適当な休みがあってこそ、新たな気持ちを持って働く意欲が出てくるものです。
 休むのは、体を休めるだけでなく、自分の生活を振り返るためでもあります。自分の今の生活はどうなのか。現状をどう見るのか。今やるべきことは何か。どうすれば、現状を変えることができるのか。疲れ過ぎると、何も考えられなくなり、やることなすこと失敗ばかりということになります。そいう意味で、働き過ぎないことが大切です。常にゆとりを持った生活が人に必要なのです。

解放のしるし

 申命記によると、「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである」(5:15)と、休みには解放のしるしがあることを示しています。
 人は休むことにより、自分が解放されて自由の身であることを意識するのです。そのためにも、休みは人から束縛されずに自由に取れるものでなければなりません。休みは単に活動の停止ではありません。新たな活動の源なのです。

年間第14主日A年(瀧野正三郎)

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