《みことば》 「ゆるす」
《聖 書》 ルカによる福音書 7・36〜50
人をゆるす
人間はお互いにゆるし合って生きなければなりません。人をゆるすことができなければ、すぐにけんかになり、大きくなれば戦争になります。
人間はお互い足りない面を持っていますし、違う意見を持っています。それなのに、自分と同じように行動したり、自分と同じ意見を持つことを要求してしまって、なかなか相手をゆるそうとしません。
でも、自分が失敗した時とか、相手に対して悪いことをしてしまった時に、何度もゆるしてもらった経験は誰にでもあるはずです。自分が人から何度もゆるしてもらって助かったという気持ちがあれば、人が自分に対して何か悪いことをした時にも、心から人をゆるすことができるようになります。ただゆるし合うだけでなく、お互いに成長することも大切です。
イエスは罪深い女をゆるす
人からゆるしてもらった経験が多い人ほど人を愛することができます。自分がなんでもできて、失敗したことがない人は、相手を受け入れることができず、愛することもできません。
イエスが食事に招かれて行ったところはファリサイ派の人の家でした。ファリサイ派の人たちは、自分たちが聖書に伝えられている掟を守ることによって、神の裁きからのがれられ、救いが受けられると考えていました。そのため、律法の勉強をし、正しく律法を守ることができるよう別のきまりまで作っていました。
確かに、ファリサイ派の人たちは、神の掟を守るために努力し、失敗することのないように一生懸命でした。しかし、足りない点は、すべての人に自分たちと同じように行動するよう要求していたことです。ファリサイ派の人たちは、自分がゆるされたという経験がなく、自分が人からゆるされないといけないような罪を犯したことがないと思っていましたから、相手のことを心から思って愛することができないのです。
イエスはなんでもゆるせとは言ってません。心から自分の犯した罪を認め、反省している人をゆるせと言っています。
年間第11主日C年(瀧野正三郎)
[こじか1989.6.18号掲載文を加筆修正]