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《みことば》 「変人イエス」
《聖  書》 マルコによる福音書 3:20-35

マルコによる福音書の主張

 1963年発布された第2バチカン公会議の『典礼憲章』で、「典礼において、神はその民に語り、キリストは今も福音を告げている」(33)ので、「祭儀における聖書の朗読を、いっそう豊富で、変化に富み、また、より適切なものに改訂すること」(35)が勧められました。
 そこで、主日のミサの聖書朗読箇所の配分は3年周期になりました。今年はB年にあたり、福音はマルコが朗読されていますが、四旬節と復活節のため一時中断していました。今日の聖書の箇所を理解するためには、どうしても始めから読んでみる必要があります。マルコによる福音では、マタイとかルカのように、イエスの教えをあまり伝えていません。むしろ、イエスの行ないを簡単に述べています。マルコではイエスそのものが福音なのです。
 イエスの行動を見ていると、当時の社会の中で罪人とみなされ、神から見離された人として、みんなからのけものにされている人々のところに行って、「あなたがたこそ神に招かれた人々だ」と言って回ります。また、「安息日は、人のために定められた」と主張し、大胆に行動します。

変人イエス

 イエスの言葉と行ないは、当時の人々にとって、常識外れのことでした。身内の人々にしてみれば、自分たちの身内から、変人が出てもらっては色々と困ったことになると考えたに違いありません。このことは、現代でもよくあることだと思います。しかし、イエスは私たちに呼び掛けています。たとえ、身内の人々から、おまえは常識外れのことをしていると非難されても、神のみ心を行なうようにと求めています。
 1981年に発表された京都教区ビジョンでは、「私たちは、この社会のあり方に迎合するのではなく、社会の中、人々の中にある福音的なものを、キリストのメッセージ、みことばの種として受け入れ、それに協力すること、その反面、社会の中にある非人間的なもの、福音の精神に反するものに対しては、はっきり声を上げ、賢明にこれを正すことが必要であると言えるでしょう」とあります。
 現代社会の中で、福音の精神にしたがって発言し行動すれば、給料が査定によって減らされたり、職を失うことがあるかもしれません。また、近所の人々から白い目でみられるかもしれません。しかし、イエスは私たちにも同じように行動するよう求めているのです。

年間第10主日B年(瀧野正三郎)

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