《みことば》 「悩み」
《聖 書》 マタイによる福音書 6・24〜34
現実の諸問題
私たちは現実に起こっている諸問題に悩まされています。世界の問題や、国内の問題といろいろあります。これらの問題は毎日の生活と常に密接につながっています。もちろん、直接的に影響のあるものから、間接的に影響のあるものまでありますが、どれを取ってみても私たちと関係ないものはありません。
ではどうすれば、これらの諸問題を解決することができるのでしょうか。
宗教はアヘンか
長い間、キリスト教の世界では、現実の諸問題に対してあまり関心を示さない人が多かったし、今だにその状況が続いています。キリスト者の中にも、現実の諸問題に立ち向かっていこうという人がいますが、まだまだ少ないです。
どうしてこのようになったのでしょうか。今日の福音書を読むと、現実の諸問題についてくよくよ悩まないで、神に頼
っていれば、神がきっといいようにして下さるという答えが出てきます。その結果、キリスト者は現実の諸問題に目を向けるよりも、教会や家で祈っていればいいという姿勢を取るようになりました。
マルクスが宗教はアヘンであると言ったのは、まさにこのことを問題にしたのです。しかし、マルクスが指摘するまでもなく、聖書の箇所をよく読むと、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と書かれています。
「神の国と神の義」は、日本人にとっても、現代人にとってもわかりにくい言葉です。これは、ただ神のことだけ考えていればよいということではありません。神の義とは、正義のことであり、不正をゆるさないことです。
この箇所で言いたいことは、ただ自分たちの利益だけを考えず、回りにいるすべての人の利益も考えよということです。神の義とは、すべての人が一人も無視されず、一人一人が人間として認められることです。
自分がいかに食べようか、いかに着ようかということで悩むより、回りの人が本当に人間らしい生活ができるように悩むのです。そうすれば、自然に自分たちも人間らしい生活を送ることができます。この点をはっきりさせないと、宗教はアヘンのままです。
年間第8主日A年(瀧野正三郎)
[こじか1981.3.1号掲載文を加筆修正]