《みことば》 「愛」
《聖 書》 ルカによる福音書 6:27-38
愛の宗教
キリスト教は「愛の宗教」と呼ばれています。確かにキリスト教の特色をよく表わしていますが、一方で誤った考えが伝えられています。旧約の神は恐ろしい神で、新約の神はやさしい神だと考えられています。
しかし、よく考えてみるとそうではありません。旧約の神は、両親が子どもを罰するように民を罰します。自分の選んだ民を正しく導くために、たとえ自分が愛する民であっても、わざわざエジプトの地から導いて約束の地に入れた民であっても、その地から追い払うのです。レビ記26:40-455によると、いましめを守るものには土地が与えられ豊かな実を受けるが、いましめを守らないものは土地から追い出されます。しかし、たとえ民を追い出しても神は契約を破ることはありません。
新約の神はただやさしいだけではありません。ファリサイ派や、律法学者や、金持ちに対してきびしい言葉を語るイエスの姿を見ればわかります。
「ほおを打つ者には、もう一方のほおをも向けなさい」とか、「敵を愛しなさい」という言葉は、すべての人をゆるし、受け入れていくことの大切さを言ってるように聞こえます。教会の歴史の中でも、人を非難してはいけないということが言われて来ました。しかし、実際には権力者や金持ちの不正をゆるすことになりました。
不正をゆるすことは人を愛することになりません。人を愛するのなら、不正を働かないように正していくことが大切です。そのためには相手を批判する必要もあります。相手とぶつかってでも不正を正すようにしなければなりません。このような意味で正義のない愛は無意味です。人をあまやかすだけで、人を愛したことにはなりません。
年間第7主日C年(瀧野正三郎)
[こじか1981.2.22号掲載文を加筆修正]