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《みことば》 「運ぶ」
《聖  書》 マルコによる福音書 2:1-12

運ぶ

 列王記上17章では、預言者エリヤがイスラエルの王アハブと対決する場面を伝えています。アハブ王に「数年の間、露も降りず、雨も降らない」ことを伝えた後に身を隠した時、烏の運んで来たパンと肉で養われたと伝えられています。
 自分で「運ぶ」ことをしなくても、誰か他のものが代りに運んでくれるのです。人は自分の力だけで生きているのではなく、いつも神によって生かされていることに気づくべきなのです。

中風の人を運んだ人

 今日の福音書でイエスが中風の人をいやす場面が描かれています。ここでイエスは、中風の人の信仰ではなく、中風の人を運んで来た四人の男の人の信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。  四人の男がどのような人物であったかは詳しく書かれていません。中風の友達だったのか、身内の者だったのかわかりません。とにかく、中風の人は病気のために自分でイエスのもとに近づくことができませんでした。その中風の人に代って、四人の男の人がイエスに近づく手助けをしたのです。
 たとえ、本人の信仰でなくても、回りの誰かの信仰があれば、その人の罪が赦されるのです。個人の信仰の大切さを考えると、なんとなく受け入れにくいことです。しかし、共同体の信仰や、親の信仰によって幼児洗礼を授けたりすることを考えると、本人の信仰でなくても、神の恵みを頂くことができるのです。
 ここで大切なのは、「運ぶ」という行動です。自分のためではなく、人のために労苦を惜しまない行動こそが大切なのです。

年間第7主日B年(瀧野正三郎)

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