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《みことば》 「敵を愛する」
《聖  書》 マタイによる福音書 5・38〜48

敵を愛する

 「敵を憎む」事は簡単な事ですが、「敵を愛する」事ほど大変な事はありません。しかし、イエスは私たちにあえてそうするように求めています。イエスは無茶な事を言っているようです。
 しかし、この言葉の意味をよく考えてみると、ここでは父なる神の愛について言っている事がわかります。父なる神の愛は、親が子供を愛するのと同じです。子供がいたずらをしたり、何か悪い事をすると、親はおこってお尻をぶったり、食事を食べさせない時もあります。でも、どんなに悪い事をしても、もう自分の子供ではないと言ってほったらかしにする親はいません。
 親が子供をしかるのは、子供を憎んでいるからではなく、子供の事を考えているからです。ただ、やさしくしたり、物を何でも与えたりするだけではなく、むしろ、子供の悪い点をあらためさせるために、しかりつける事も必要なのです。
 自分の仲間だと思っている人に対しては、ただやさしくしたり、親切にするだけでなく、お互いの意見の違いをぶつけ合ったり、お互いの足りない点を注意し合ったりする事ができます。人を愛する事は、不正をゆるす事ではありません。不正をしている人を見過ごすのではなく、不正を正すように働きかける必要があります。

お互いのよさを認め合う

 父なる神の愛から考えると、どんな人に対しても同じように行動する事が求められています。たとえ、自分の気にいらない人であっても、その人の持っているよい面を認め、悪い面をなくすように接していく必要があります。お互いの足りない面ばかりを見てしまうと、ついつい相手を憎んだり、相手を批判してしまいます。これではいつまでたっても愛し合う事ができません。
 どんな人でも何かよい点を持っているはずです。お互いの持っているよさを認め合えば、お互いに愛し合う事もできます。人は自分の足りない面ばかりを非難されると、自信を持てなくなり、いじけてしまいます。しかし、自分の持っているよさをほめられたら元気になります。こうすれば、おたがいに成長していく事ができます。

年間第7主日A年(瀧野正三郎)

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