<ふりがなつき「PDF」ダウンロードできます>

《みことば》 「貧しい人々は幸い」
《聖  書》 ルカによる福音書 6:17,20-26

祝福とのろい

 イエスの言葉の中には、祝福の言葉と同時にのろいの言葉があります。これをどのような気持ちで受けとめていけばよいのでしょうか。聖書をよく読む人でも、祝福の言葉だけを読んでしまい、自分にはのろいの言葉が語られていないと考えてしまいます。
 しかし、もしイエスの言葉の中からのろいの言葉を取り去ってしまったとしたらどうなるでしょうか。そうすると、現状を肯定したような発言になってしまいます。貧富の差があってもそのままにしておいて、貧しい状態や苦しい状態にある人々に向かって、今は苦しくてもがまんしていなさい、きっといつか報われる時が来るからと言ってなぐさめているにすぎなくなります。もし、イエスがただこれだけのことを言ったのなら、決して十字架に掛けられて殺されなかったでしょう。
 イエスがのろいの言葉を語るからこそ祝福の言葉が生きてくるのです。当時の社会の中で地位のある人々や、金持ちや、力のある人々を非難したからこそ、たくさんの苦しんでいる人々がイエスについて来たのです。貧富の差が激しい状態を不満に思っていても、誰も決して口に出しては言わなかったのです。
 貧しい人々や苦しんでいる人々がいる時に、ただ困っているから助けてあげましょうというだけでは足りません。目の前で困っている人々を助けることも必要ですが、人々の苦しい状態の原因を捜し、それを取り除くためにも協力しなければなりません。

貧しい人々は幸い

 「貧しい人々は幸い」という逆説的な言葉も、同じような意味で理解する必要があります。現状を肯定する言葉として受け取ってはいけません。
 マタイによる福音書(5:3)では「心の貧しい人々は幸い」となっています。イエスが現実の問題として発言した言葉を、精神的な意味に置き換えてしまったのです。

年間第6主日C年(瀧野正三郎)
[こじか1980.2.17号掲載文を加筆修正]

inserted by FC2 system