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《みことば》 「宣教」
《聖  書》 マルコによる福音書 1:29-39

 第二バチカン公会議の後、1974年に「現代社会における福音宣教」をテーマにシノドス(世界司教代表者会議)が開かれました。そのまとめが、「福音宣教に関する教皇パウロ6世の使徒的勧告」という文章で発表されました。以下にその一部を紹介します。

福音宣教とは何か

 教会は福音宣教者ですが、それにはまず教会自身が福音宣教されねばなりません。信じる者の集まりであり、希望に生きて、希望を伝える兄弟的愛の共同体である教会は、信ずべきこと、希望すべきこと、愛の新しいおきてについて絶えず傾聴しなければなりません。教会は世俗社会の只中に住む神の民であり、しばしば偶像の誘惑に会い、主に立ちかえらせる「神の偉大な業」の宣言を常に聞く必要があります。簡潔に言えば、福音を宣べるにあたって、教会が新鮮さと活力と能力を保つためには、教会自身が常に福音化される必要があるということです。(15)
 従来は、福音宣教とはキリストを知らない人々に教え、説教し、カトリック要理を説き、洗礼その他の秘跡を授けることと定義されてきました。しかし、福音宣教の真の姿、その豊かさ、複雑さ、その動的な面を、部分的あるいは断片的に定義することは、それを貧弱なもの、ゆがんだものとする危険があります。(17)

生活によるあかし

 教会にとって、福音宣教の最初の方法は、キリスト教徒としての真正な生活のあかしです。何ものもさえぎってはならない神との交わりに献げられ、同時に隣人への奉仕に限りない熱意を示すキリスト教徒の生活のあかしこそ、まず強調されるべきものであります。教会が世の中を福音化するのは、行為と生活によるのであって、換言すれば、イエス・キリストにたいする教会の忠実さの生けるあかし、ならびに教会の清貧と解脱、この世の権力に屈しない自由の生けるあかし、一言でいえば、聖性のあかしによるのであります。(41)

年間第5主日B年(瀧野正三郎)

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