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《みことば》 「教え」
《聖  書》 マルコによる福音書 1:21-28

律法学者

 イエスの時代の人々にとって、律法学者は会堂の教師であり、律法の戒めを解釈する役割を果たしていました。イスラエルの歴史の中で、ある期間イスラエルの民の中心的存在であったエルサレムの神殿が崩壊し、人々がバビロニアへ補囚されましたので、律法の戒めが生活の基盤となっていきました。しかし、人々は文字も読めず、律法の戒めも理解できませんでしたので、人々に律法を読んで聞かせ、又、その意味をわかりやすく説明する律法学者が必要となりました。
 バビロニアの補囚からの帰還の記事は、エズラ記で伝えられていますが、エズラはモーセの律法に詳しい書記官として民衆の指導者となりました。この「書記官」が聖書で伝えている最初の律法学者です。

教えと行ない

 イエスと律法学者との違いはどこにあるのでしょうか。律法学者はユダヤ教の言い伝えに従い、律法を解釈していました。イエスは、言い伝えにとらわれないで、一人一人の人間を大切にするためにはどうしたらよいかを教え、又、教えるだけでなく自ら行ないによって人々に模範を示しました。
 キリスト教の歴史においても、教義が作られ、それが固定した教えとして守られてきました。しかし、それでは現実の生活とはかけ離れた信仰となっていきました。第二バチカン公会議は、こうした現実を素直に認め、教会が人間の現実に答えられる信仰を持つことができるように探し初めました。
 以前に公教要理を学んで来た人にとっては、なにか不安な気持ちを起こさせることかもしれませんが、イエスの時代の律法学者のような態度を持たないよう反省する必要があるのです。言い伝えがまちがっていたというのではなく、言い伝えにこだわるあまり、人間の現実に対応した行ないができないことが問題なのです。

年間第4主日B年(瀧野正三郎)

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